Vol.1 ARISTRIST代表取締役 ”蝶野正洋” | ヤンゴンプレス(Yangon Press)| 日本とミャンマーをつなぐ情報誌 ミャンマーのニュースを日本にお届け

Vol.1 ARISTRIST代表取締役 ”蝶野正洋”

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「日本ミャンマープロレス親善大使」が確信するミャンマープロレスの可能性

地元の選手育成に日本のプロレス界が全面協力

 

 

今回のVIP   蝶野 正洋 Masahiro Chono

プロレスラー/ARISTRIST 代表取締役/日本ミャンマープロレス親善大使

インタビュアー 栗原 富雄 Tomio Kurihara Yangon Press編集長

 
まさかこの方が二つ返事でミャンマー初の「国際プロレス大会」へ来ていただけるとは想像だにしなかった。快諾どころか、「親善大使」という重責も引き受けていただいた。会場での人気もすごかった。試合後にツーショットをねだる邦人が後を絶たなかった。さすが、「黒のカリスマ」と呼ばれるスタープレーヤーであった。

 

予想以上の盛り上がりに驚く。近い将来ミャンマーの選手を


2016年2月に開催された「国際チャリティープロレス大会」は、主催者の予想をはるかに超える盛り上がりを見せ、翌日のローカルメディアもおおむね好意的に扱っていた。怪我で出場を見送った曙選手は残念だったが、日緬プロレス親善大使として挨拶に立ち、試合途中では場外乱闘にも参加してパフォーマンスを見せてくれた蝶野正洋さんの存在感は、やはり別格だった。

 

「最初にZERO1の中村代表からこの話が来たときは、正直、少し考えさせていただいたよ。でもスーチーさんがリーダーの新しい政府ができるというニュースが連日日本で報道されていたから、もしかしてプロレスも人気のイベントになるのではという期待感の方が強かったね。それに、じつを言うと、某商社に勤めていた親父の弟が、30年ほど前に当時のビルマに赴任していたんだ。だからこの国とは少なからず縁があるのではと、前から感じていたからね」

 

開催も危ぶまれた今回の大会では「ミャンマーならば」と、7年ぶりにリングへ戻ってきてくれた孤高のチャンピオン田村潔司さんを初め、内外の現元チャンプクラスが熱戦を演じてくれた。田中正人選手による派手な場外乱闘や、初めて生で見る女子選手のタッグマッチは、ミャンマーの観客の度肝を抜いた。特に、場外乱闘では必死に逃げまどい、プロレスならではの技には口角泡を飛ばさんばかりに興奮気味に話していた子供たちの姿が印象的だった。しかし、元NWAへビー級チャンプの親善大使の目には、果たしてこの大会はどのように映ったのだろうか。

 

 

ミャンマーチャリティープロレスの試合会場にて

ミャンマーチャリティープロレスの試合会場にて

 

「本当に皆、いい試合をしてくれたと思うよ。観客のボルテージも予想以上に高かったからね。やはり“ラウェイ”という伝統的なプロスポーツがあるので、プロレスという格闘技はこの国の国民性に合っているのではと確信したね」

 

 

確かに、開催前はこの国でプロレスが根付く素地があるかどうか、関係者は一様に不安の面持ちだった。だから、日本人なら暗黙の了解がある演出をどこにどう入れるか、これだけの選手を招へいしたZERO1の中村祥之代表は苦慮していたようだ。しかし、メーンイベントの田村潔司選手の試合はガチンコだった。日本では、昨年大晦日の高額オファーを蹴ってなぜミャンマーなのか、という話題で持ち切りのようだが、彼は試合後「ミャンマーの若い選手を育ててみたい」とも言った。来緬してくれた選手の皆さんは、すべて“銭カネ”では動かない心意気で参戦していただいたので、主催者としては嬉しかった。

 

「日本や米国はやや頭うちの感があるが、アジアは将来はプロレスの新しいマーケットになる。その中でも特にミャンマーは大きな可能性を秘めていると思うね。今回もし、ミャンマーの選手が出場していたらと考えると、もっとすごいボルテージになったぞ。だから、実現できてよかったし、これからミャンマーの若い選手を育てることが課題だね。日本のレスラーたちもこの大会を契機に、今後さらに協力的になってくれるはずだよ」

 

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ミャンマー大会にて、KENSO選手(左)から鈴木秀樹選手(右)への強烈な平手打ち

 

 

 

サッカー選手志望からレスラーへ、再びリングへ上がる可能性は 

蝶野さんは大手製紙会社のサラリーマンであった父親の赴任先のシアトルで生まれ、2歳で帰国し、三鷹市で育った。都立永山高校ではサッカー部に所属し、将来はサッカー選手という夢を見ていたという。


「体が大きかったからやんちゃだったよ。高校時代はスポーツ一辺倒だったから、親が心配して“大学に行け”とうるさいものだから、浪人して大学に行った。ところが、進学して何の気なしに受けた新日本プロレスの新弟子試験に合格してしまったんだ。だから大学に籍を置いたまま入門した。でも結局しばらくして大学は中退したけど」


同じスポーツとはいえサッカー選手からレスラーへというのは予期せぬ転身だったが、結果的にこれが以後32年にも及ぶマット界で、「蝶野ワールド」とも言うべき人気レスラーの道を歩む転機となった。

当時の新日はあのA猪木さんを始め錚々たるスターがいた最強軍団だったが、蝶野さんは入門してわずか半年でデビュー戦を行った。相手はのちに「闘魂三銃士」としてトリオを組むことになる武藤敬司選手だった。彼もデビュー戦だった。その3年後の1987年、24歳の時に「第3回ヤングライオン杯」で、今は亡き橋本真也選手を破り優勝。優勝後、海外遠征に出発し、オーストリア、ドイツを転戦した。

 

 

「海外遠征と言えば聞こえはいいが、片道切符しか渡されず、あとは自分の力でやれという無茶な条件だったよ。だから一人で現地のプロモーターに頼んで試合のマッチメークをしなければならない。生活費を稼ぐためにね。もう必死だったよ。でも何とかなるもんで、この苦労した経験が日本へ帰ってのちにプロモートをするときに役立ったな」

 

しかし幸運もあった。ドイツでは現在の夫人であるマルティナ・カールスさんとめぐり合い、結ばれた。1年間の武者修行を終えて帰国後は、武藤、橋本とともに「闘魂三銃士」を結成したが、その後、米国に渡り、NWAテリトリーで再び修行活動に入る。

「若手の時のプロレスはオーソドックスなストロングスタイルだったけど、巡業を終え、ホテルに入り、また試合という単調な日常の中では危機感を覚えたよ。ネガティブになっていたんだね、それで現状打破のために自分のスタイルを思案、模索したよ」

 

現在の「ギャングスタースタイル」を確立したのはこの頃からだったという。ヒールに徹し、「黒のカリスマ」として人気絶頂期を迎える。2005年にはヒールユニット「ブラックニュージャパン」を結成し、8月にはG1で前人未踏の5度目の優勝を果した。優勝は、早速この年に急逝した盟友橋本真也に報告した。

 

「じつは、彼が亡くなる2か月前に会い、久しぶりに食事をしたんだよ。団体の分裂騒動、怪我、手術などで、彼は相当ストレスを抱えていたからね。でもリングへ早く復帰したいと気持ちが痛いほど伝わってきた。だから訃報を聞いたときは本当にショックでね・・・」

 

2010年1月4日の東京ドーム大会を最後に、蝶野さんは首や両膝の治療と体のケアのために長期休養に入った。引退ではない。現在は、マルティ―ナ夫人と東京の表参道に”ARISTTRIST(アリストリスト)”というブランドを立ち上げ、この会社の所属レスラーとなっている。試合の時は夫人がデザインした黒色のガウン、レッグガード付きロングタイツを着用するという。

最後に今回のファイトを見て、蝶野さん自身も少なからずリングへの血が騒いだのではないかという、質問をぶつけてみた。

 

「う~ん、そうね・・・。でもやるからには中途半端なことはできない。なにしろブランクが長いからトレーニングをしてまず体を鍛えないといけないよ。みっともない試合はお見せできないからね」

 

満更でもない様子だった。近い将来、あの激烈ファイトがミャンマーでも見られるかもしれない。

蝶野正洋

<蝶野正洋 略歴>

本名: 蝶野正洋(Chono Masahiro) 生年月日: 1963年9月17日 52歳 生誕: 米国ワシントン州シアトル

出身地: 東京都三鷹市 身長: 186cm 体重: 108kg

プロレス略歴:

1984年新日本プロレス入門。 同年10月、武藤敬司戦でデビュー。87年海外遠征に出る。89年に帰国。91年「第1回G1クライマックス」にて優勝。以後G1は前人未踏のV5を達成。92年に第75代NWAヘビー級王座へ。その後TEAM2000を結成し、2010年には新日本を離れてフリーに。武藤、(故)橋本選手らと組んで「闘魂三銃士」として人気を得る。自身は「黒のカリスマ」として長らく日本のマット界に君臨。現在はリング以外にも活動の場を広げ99年には、マルティナ夫人と二人三脚のブランド”ARISTRIST”を設立。最近は救急救命活動などの社会貢献活動にも力を入れている。今回のミャンマーチャリティープロレス大会では、「日本ミャンマープロレス親善大使」を務めた。

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