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Vol.2 ミス・インターナショナル沖縄(2012)ミャンマー代表”ナンキンゼアー”

ミャンマー国民を熱狂させたミスコン代表の素顔

世界の檜舞台で孤軍奮闘したヒロインの良心

 

 

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自身の誕生日パーティにて

 

 

今回のVIP   Miss Nang Khin Zay Yar ナンキンゼアーさん
2012 ミス・ヤンゴン/2012 ミス・インターナショナル沖縄ミャンマー代表/モデル/ツアーガイド

インタビュアー  栗原 富雄 Tomio Kurihara Yangon Press 編集長

 

ツアーガイドからミスインターナショナルミャンマー代表(2012年)に選出。まさにシンデレラ物語そのものだが、それは50年ぶりの出来事で、民主化を世界にアピールする絶好の機会であった。その大役を見事にこなし、一躍国民のヒロイン的存在となった彼女は、その美貌ばかりに視線は向きがちだが、社会的弱者を気遣い、一本、筋の通った信念に満ちた人生を送る才媛でもあった。

 

仕草、容貌は良家の子女風だが、変わらぬ生活を維持

取材の約束時間は午前中だったが、前日、ご丁寧にも本人自ら「撮影が遅れそうです。お待たせするわけにはいかないので、午後に変更してもらえますか」という連絡が入った。むろん、指定なさったヤンゴン中心部にあるモダンなカフェには定刻通りにおいでになった。時間に関してかなりルーズな方が多いこの国で、このマナーの良さと几帳面さにまず好感をもった。

しかもご登場の仕方が印象的だった。マネジャーも取り巻きも連れずにどこからともなくお一人で現れ、まるで旧知の人間に会うような気さくな笑顔でご挨拶された。その仕草と容貌は、どことなく良家のお嬢さん風で、25年ほど前に取材でお会いした若かりし頃の知的なタレント高田万由子さんに似た雰囲気を醸し出していた。

 

「私自身は何も変わっていませんよ。周囲の方々が特別な意識で私に接してこられますが、今でもツアーガイドは続けていますし、時々、今日のようにモデルの撮影のお仕事もやっています」

 

これは驚きだった。ネットには当時のミスコンの模様や彼女をめぐる情報があふれており、街を歩けば必ず人だかりに遭遇するほどの超有名人になったにもかかわらず、ドイツ語と英語のツアーガイドを継続中とは。普通なら、一国を代表するミスともなれば、天狗になったり、生活が一変して当然だが、ナンキンゼアーさんの凄さは、ご自分のことを冷静に分析し、以前と変わらぬ生活スタイルを堅持していることだ。26歳(当時)の若い女性には、なかなかできることではない。

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少数民族パオ族の出身幼少からモデル願望を持つ

ナンキンゼアーさんはミャンマー北東部シャン州タウンジーのパオ族の出身だ。お名前の冒頭に付く”Nang(ナン)”はパオ族の証だという。タウンジー近郊に暮らすパオ族は5,000人程度といわれ、俗に”パオネー”と呼ばれ、全国的規模で見れば5万人足らずになってしまった少数民族だ。しかし現在でも伝統的な文化を持ち”超人の父親と竜の母親から創造された”という伝説がパオネーの方々の間で伝承されている。その独特の文化圏のなかで育った彼女だが、幼少の頃から早くもモデルになる願望が芽生えていたという。

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「テレビの前でウォーキングをしたり、ポーズをつくってモデルの真似事をしていました。おませでした。初めは父も暖かく見守っていましたが、余りにも夢中になったものですから、あるときからテレビは1年ぐらい禁止になりました」

父親は心の温かい包容力のある人だが、物事の善悪には厳格だった。

「せっかくミャンマー人に生まれたのだから、この国の法律をしっかり勉強したらどうか」

 

ある日、相変わらずモデルに固執する彼女に、父親は何気なくこんなアドバイスをした。タウンジー大学法律学科入学という決断をしたのも、この父のひと言がきっかけだった。しかし、彼女自身は弁護士や法曹関係の仕事に就く気はなかった。父親に似て、白黒をはっきりさせないと気が済まない性格ゆえの法科選択だった。しかし、モデルへの未練は断ち切ることはできなかった。それで、20歳になる前に、首都ヤンゴンへ向かった。いわば「上京」である。

 

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実に真剣にインタビューに応じてくれた

 

 

ドイツ語を選択した理由、ミスヤンゴンから国際舞台へ

とはいっても、何しろお金がない。そこで語学力を生かしてツアーガイドで生計を立てることを考えた。

 

「英語が好きで、勉強も継続中でした。だからガイドなら何とかできるかな、と思っていました。でも、もうひとつ言葉をマスターすれば仕事も増えるのではと、考えたのです」

 

その選択肢がドイツ語習得だった。

 

「物事を理詰めに考えるドイツ人とその文化を尊敬してました。それでこの国の言葉を選びましたが、基礎は難しかったですね。ところが半年ぐらいみっちりやったら後は楽でした。その点、フランス語は逆ですね。基礎はやさしそうにみえますが、だんだん難しくなる。日本語の場合は別格。最初から最後まで気が抜けない言語ですよ」

 

「なぜ、ドイツ語を習ったのか」という当方の質問に対して、これだけの語学論が間髪をいれずに返ってきた。外国語をひと通り検証しなければ分かり得ない分析で、しかも彼女のこの論法こそ誠に理にかなっていてドイツ的だ。むろん経済的に余裕がないから、言葉はツアーガイドのかたわら、ヤンゴン外国語大学の夜間に4年間通ってマスターした。

 

ツアーガイドとして自立した21歳のとき、念願だったモデルの仕事が舞い込む。真似事を何度もしてきただけに、この世界に溶け込むのは早かった。2年後の晴れ舞台で、堂々たるウォーキングを披露できたのも、物おじしない性格とこのときの経験が大いに役立ったという。

 

モデルの仕事は22歳頃がピークだったが、あるときホテル観光協会の人間から”ミスヤンゴン・2012コンテスト”が開催されることを知り、軽い気持ちで応募した。この大会は”ミスインターナショナル2012世界大会”の代表選考も兼ねていた。そして、見事栄冠を獲得し、国の代表として開催地の沖縄に向かうことになったのだ。冒頭にも記したように、これはこの国にとって1960年以来じつに半世紀ぶりの出来事で、民主化を世界に喧伝するにはまたとない機会でもあった。

 

ところが、正式にアテンドする組織がこの国にはまだなかったので、日本行きのビザも自分で申請し、沖縄へも1人で行く羽目になった。余談だが、このときすでに”ナンキンゼアー”の知名度は全国区になっていたため、日本大使館に1人でひょっこり現れたときには、周辺は騒然とした雰囲気になったという。

 

「外国はもちろん初めて。本当は東京に行きたかったの。でも、オキナワは気候も暖かく、人々も皆親切でした。海も綺麗で、日本なのにオリジナルの文化があることも知りました。素晴らしい経験をさせてもらいましたね」

 

無知な代表から屈辱的な質問も。全国民がサポーターとなって熱狂

代表になってから、数多くの取材を受けてきた。しかしその多くは儀礼的なものではなかったか。だから当方はぜひ本音をお聞きしたかった。それは半世紀ぶりに出場する途上国の代表に対して、他国の代表や関係者がどのような態度で接したのか、という危惧にも近い懸念だった。案の定、この質問をしたときに彼女は一瞬躊躇(ちゅうちょ)したようにも見えた。そして意を決して語り始めた。

 

「一番多かったのがミャンマー?どこの国?という悲しい質問ね。それはまだいいの。ミャンマーはタイのどの辺にあるのかとか、まだ戦争をしているんでしょう?みたいな無知な発言には正直腹が立ちました。ほかの国の代表の方々は、ちゃんと自国の関係者がガードしていましたが、ミャンマーは私1人。だからすべて自分で解決しました。もちろんそう言われても喧嘩はしません。だって、私には切り札がありましたから。ミャンマーはあのアウンサン・スーチーさんの国ですよ、というと皆さん納得してくれましたから」

 

卒直にいって、美貌とおつむの中が比例する代表がどれだけいたのかは疑問だが、半ば屈辱ともいえる発言を浴びせられた彼女にとって、こうした経験はバネになったに違いない。そしてまもなく母国から彼女が予想だにしなかった心強いサポートが津波のように押し寄せてきた。”ミスインターネット”という特別賞に、ミャンマー国民からの投票が殺到したのだ。

 

「数多くのミャンマー人が私を応援してくれていると思うと、これはエネルギーになりました」

 

母国からの熱きサポートはとどまるところを知らなかった。一部には「組織票だ」とやっかむ声が出たほどだった。 むろん彼女はこの栄誉に輝き、それどころか”ピープルズ・チョイス・アワード”という賞も獲得した。くどいようだが、彼女は少数民族のパオネーである。ミャンマーは135余りの民族で構成されているが、大多数は約7割を占めるビルマ族である。しかし、このときは、民族という枠を超えて、ミャンマー全国民がひとつになってこのパオネーの女性を熱狂的に支え、世界にアピールする舞台を作り上げた。

帰国後、彼女はある意味で”英雄”となった。身長168cmと代表にしては小柄な女性が、たった一人で世界の表舞台で戦い、奮闘した。民主化、新生ミャンマーの国づくりを目標にする国民にとって、これは自信が湧き、勇気づけられる出来事だったに違いない。そして2012年、13年と連続して”ミャンマーで最も有名な人”賞に輝き、モンゴル政府からは”Miss Humanity Award”を授与された。

 

「自分よりも弱い人、貧しい人々を応援し、助け、慰めてあげることは気高い行為です。お金だけが貢献ではありません。言葉をかける、あるいはボランティアで何かをしてあげることも相手にとってすごい力になるし、援護にもなります」

 

親善大使としての公的なメッセージではない。ナン・キン・ゼアーさんが常日頃から口にするご本人の良心である。最後に「生まれ変わっても、ミスになりたいですか?」という質問をぶつけてみた。「もちろんです」と、この国民的ヒロインは満面に笑みを浮かべた。

 

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<Nang Khin Zay Yar ナンキンゼアー 略歴>

本名: Nang Khin Zay Yar 生年月日: 1988年3月4日 26歳 生誕: シャン州タウンジー市 パオ族 仏教徒

職歴: 21歳からドイツ語のツアーガイド 22歳からモデル活動 ハンセン病、エイズ、癌撲滅団体の支援メンバー 貧困者葬祭支援メンバーほか各種人権団体、NGOの支援メンバー

受賞歴:
2012年「Myanmar Best Famous 21 Person in 2012」
2013年「ミャンマーを世界に広げて紹介した賞」「Myanmar Best Famous Person in 2013」「Miss HumanityAward」by モンゴル政府

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